
まちづくり協議会
33年の歩み


昭和63年度 1988年
土山宿主催の第1回「東海道53次シンポジュウム」に参加。土山宿の松山町長が提唱する「東海道の歴史性を活かしたまちづくり」に賛同。11月、品川区、東京商工会議所品川支部、地元全町会、地元全商店街、地元有志が協議し、品川宿周辺の全町会、全商店街が参加して「旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会」(略称:まちづくり協議会)を設立。品川宿のまちづくり活動が始まる。第1 回東海道シンポジュウム土山宿大会に参加。


平成元年度 1989年






土山宿の呼びかけに応え、第2回「東海道53次シンポジュウム」を開催(10月28日会場:キュリアン大ホール)。翌29日に品川宿でウオークラリーを開催。約500人の一般参加者があり盛況。メンバーの手でまちのPR紙「ぶらり品川道しるべ」を創刊。
平成 2年度 1990年
地域の実情を把握するための活動として「まちの現況図作成」に取り組む。スイス・ジュネーヴ市民を迎え民間友好交流が始まる。10月27日〜11月4日、現在につづく第1回「しながわ宿場まつり」を開催するが、荒天のためメインイベントが中止となり「幻の宿場まつり」と呼ばれる。東京都の「歴史と文化の散歩道」に指定される。第3回東海道 シンポジュウム池鯉鮒宿大会に参加。


平成 3年度 1991年
改修なった品川橋開通式に参加し「南北綱引き大会」を開催。9月7日、ジュネーヴ市で開かれた品川寺梵鐘式典に参加し、神輿パレードを挙行。同地にて「品川とジュネーヴの商店街連合団体による友好協定」に調印。10月〜「旧東海道品川宿周辺整備基礎調査(イメージづくり基礎調査)」作成に着手。まちの人たちも参加(延70人)して「まちの宝探しワークショップ」を開催。「まちづくり計画書」の作成へ向け、計画的、段階的に活動がスタート。この作業で明らかになったまちの宝物(約600件)を「まちのお宝マップ」
にまとめる。第4回東海道シンポジュウム桑名宿大会に参加。




平成 4年度 1992年
ワークショップの成果を披露する「まちのお宝発表イベント」を開催。「発表・私のまちづくりプラン」、品川飯を再現して来場者にふるまう試食会、落語会、品川名産販売などを南北5会場で展開。「まちの宝探しマップ」を無料配布。「まちづくり基本構想書」の作成に着手。街道松をつなぐ事業の第1号となる、浜松宿・三島宿より寄贈の「街道松植樹式」を開催。第5回東海道シンポジュウム吉田・二川宿大会に参加。




平成 5年度 1993年
3月平成3年以来の作業をまとめ「まちづくり基本構想書/これからのまちづくり・みこしダコを伝える」を作成。本書において品川宿におけるまちづくりの基本コンセプトを「百年後の子どもたちにいつまでも祭りがつづけられるまちを伝える活動」、つまり「みこしだこを伝えるまちづくり」と定める。協議会内に初のプロジェクトチーム編成。「東海道品川宿周辺まちづくり計画書(通称:まちづくり計画書)」の作成に着手。6月28日、みこしダコ創刊(B5版2ページ)。第6回東海道シンポジュウム金谷宿大会に参加。




平成 7年度 1995年
「まちづくり計画書」に則り、北品川本通りに「新宿お休み処」をオープン。土・日はメンバーが交代で店番を務め来街者と交流。他にミニお休み処を8箇所、床几、松の盆栽、看板とともに設置。「まちのお宝マップ」をベースに作成した「まち歩きマップ」の無料配布を始める。交通アクセス、周辺環境の変化、地域史などの基礎的な調査に取り組む。またジュネーヴ、東海道53次各宿との交流事業を進める。第8回東海道シンポジュウム保土ヶ谷宿大会に参加。

平成 8年度 1996年
「まちなみ整備プロジェクト」を組織し、青物横丁を事例として検討会、見学会を実施。そ の成果をもとに青物横丁に石畳を整備、街路灯を移設し、歩きやすい環境の整備に取り組む。「品川ジュネーヴ友好5周年記念式典」に出席。品川区からの委嘱を受け「聖蹟公園再整備計画書」を作成。お休み処ではまちの古老の話を聞く会「品川宿の夕べ」や英会話教室「しゃべらナイト」などを開催。第9回東海道シンポジュウム水口宿大会に参加。


平成 9年度 1997年
青物横丁商店街にて石畳整備に着手。石畳をつなぐ事業が始まる。お休み処を品海公園前に移転、「新宿お休み処」として整備。「電子御用聞きシステム(通称;宿場便)プロジェクト」がスタート。品川宿・土山宿・三島宿が共同で「東海道53次災害援助協定」を提案。各宿場の行政がこれを承認し、調印に至る。しながわ観光協会の設立に参加。第10回東海道シンポジュウム三島宿大会に参加。